ゲームにストーリーは必要か?

今日ネットで見つけたもの


ストーリー神話の崩壊とゲーム業界の「ストーリー病」
http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/01/post_137.html


これどうなんでしょうね?
「「ストーリー=必要」神話の崩壊」とか言われても、まあ俺なんかはバカで難しいことわからないから、
「ストーリーのない『ウイイレ』とか『グランツーリスモ』とか『太鼓の達人』とかも発売されてて事実売れてるんだから、そもそもそんな神話なんて存在するのかよ?」
なんて思ったりもしてしまうわけだけど、まあ実際ムダにストーリーが付いてるゲームもあるよなあなんて思ったりもしたりする。


ただねえ……、俺の考えとしては、まあストーリーの必要性云々はまず置いておくとしてその前に、売れるビデオゲームにおいて「キャラクター」の必要性ということを考えてみると、それはやはり「必要あり」なんじゃないかなあと思う。
まあもちろんパズルゲームや音ゲー等を中心にキャラクター性のほとんどない(かつ売れてる)ゲームというのも存在してるんだけど、やはりキャラクターが良くて売れるゲームというのは非常に多い。
例えば現にシューティングゲームなんて、現在では一部の好事家を除いて誰も注目していなかったにもかかわらず、そのキャラクター性が非常に高かったために人気になったシューティングゲームというのもあるし(東方シリーズなど)、その『nintendogs』にしたって、かわいい子犬というキャラクター無しにあの人気はありえなかっただろう。また『ウイイレ』や『グランツーリスモ』にしたって、「実在の選手や車」という強力なキャラクターあっての人気であることは間違いないはずだ。


……で。
このように「キャラクターの必要性」というのを考慮に入れた場合、そのキャラクター性を高めるための土台としての「ストーリー」の必要性というのは、やはりあるんじゃないかと思うのだ。
もし仮にストーリーもなくただキャラクターだけ提示されたとして、そんなキャラクターを気に入ったり感情移入したりするのは難しいのではないだろうか?
だからそのストーリーが仮に非常に程度の低い内容であったとしても、通常のゲームにはそれなりのストーリーが必要なことが多いと俺は思うのだ。
もちろん『nintendogs』にはそれはなかったが、それは「プレイヤーがペットの子犬を飼う」という特殊な設定があればこそ、それを省けたとも言える。
またついでに言えば、任天堂スポーツゲーム等にやたらと「マリオ」を使ってくるのも上手い戦略と言える。何故なら既に知名度のあるキャラを使うことにより、ストーリーに頼らずとも、キャラクター性を高めることが出来るからだ。
しかしこれがもし例えばだが、何のストーリーもなくただ敵と戦うだけの『バイオハザード』とか、『メタルギア』があったとして、それが果たして大ヒットしただろうか?
まあ一部のゲーム性主義のゲーマーはやるかもしれんが、でもそれだけの存在になっていたんじゃないかな。


つーわけで、俺の意見の結論としては「ストーリー自体はゲームにそれほど必要なくても、キャラクターを立たせたいときにはストーリーは必要になる場合があるのではないか」ということ。
まあそのストーリーの見せ方はいろいろ考えなきゃならないとは思うけどね。長いムービーとかそんなに見たくないし。

ただ個人的にはそれ以前に、『「ストーリー=必要」神話』なんてのがホントにあるのか気になるところだけど。というか、そもそもストーリーがなくてヒットしたゲームなんて山ほどあるのに、『nintendogs』だけを持ち上げて「その錯覚というか信仰をぶち壊した」とか言われてもなあ……。