「枝葉」は邪魔か?必要か?

どうも先日書いた日記の、
「プロの作家の文章量がだんだん増えてくる理由が分かった気がした」
http://d.hatena.ne.jp/ryouta765/20060213#p1

が、「遥かなネットワークの地平に次の百年を夢見て」(http://xiga.blog41.fc2.com/
というサイトで紹介されていて驚いた。
ウチみたいなマイナーサイトをどこで知ったんだろう?なんて思ってしまいますよ。

つーか先日の日記は、半年後くらいにこっちが忘れかけた頃になってから「駄文ニュース」あたりの目に留まって紹介される、ってぐらいのところを目標として書いたんだけど、この意外なほどの早い反応にはホント驚きましたね。



……って、そんなわけで今日は、先日の続きというか補足というかそんなものを。
まずいきなりざっくりと断定的に言わせてもらえば、一つ文章の中には「幹」と「枝葉」の二つの部分があると思う。


「幹」その文章で語るべきメインとなる部分。
「枝葉」はそのメインを補佐し、説明し、彩りを与える部分。


そして「枝葉」を上手く書く技術は、経験を積むごとに蓄えられてゆく。
「幹」を作る能力の伸び幅は人それだと思うが(人によっては低下することすらある)、「枝葉」の方が伸びしろが多いのは間違いないだろう。
だから慣れてくるとつい「枝葉」をいろいろ伸ばしたくなる。
しかしそれによって「幹」が見えにくくなるということがあるというわけだ。
「葉を見て幹を見ず」。こうなってしまっては意味がない。
だからといって「枝葉」が足りていなければ、自分以外には解読不能な「枯れた文章」となってしまうわけで。
う〜む、難しい。つーか、この手の議論でありがちな「バランスの問題」って結論になるわけか?

まあここでいろいろ悩み考えるより、ここは一発ズバッと実際に実験してみるのがいいかもしれない。
つーわけで、先日の「プロの作家の文章量がだんだん増えてくる理由が分かった気がした」にハサミを入れて、適当に「剪定」してみた。つまり「これは無くても大丈夫かな?」と思った部分をズバズバと切り捨ててみたわけだ。
その結果出来上がったのが下の文章。ちょっと先日の文章と読み比べてみて欲しい。




○「プロの作家の文章量がだんだん増えてくる理由が分かった気がした」簡易版○


先週は映画の「キングコング」のレビューを書いてみた。
まー、あれは疲れたね。

まず、序盤にその作品の基本的な説明書くのが、すごく面倒くさい。
自分としては、そんなのより早くさっさと本題に入りたいわけですよ。
でも、あの辺ないがしろにすると知らない人はよく分からないだろうなあなんて思ってしまって、文章が長くなってしまい、書いてて疲れてしまうんだよなあ……。


……で、ふと思ったんだけど、プロの小説家なんかで、だんだん文章の量が増えていくって人が結構いたりする。
そして今回自分もその気持ちがちょっと分かった気がしたのだ。
やっぱ自分も昔に比べて文章を書くときにいろいろなものが見えてくるようになるわけですよ。
「この部分の説明が必要だ」とか、「ここはもっと面白く話を広げられるな」とか、「後の展開を考えると伏線的にこの話を序盤でしておくべきだ」とか。
で、そういうのを一切合切いれてしまうため、どうしても文章量が長くなってしまう。

そういえば最近、大学生の頃に書いた自分の文章を読んでみたら、もう驚いた。
とにかく導入が唐突。
例えば今回のキングコングレビューで言うなら、まず第1行目が、


「先日映画のキングコングを見に行ったんだけど、いや〜あそこはヤバイね!ビビッたよ!」


とかもう、そんな感じ。
そしてさらにそこからも、とにかく展開が早く説明が足りない。
だから今の「見えている」状態からすると、とてもそんな文章が書けなくなってるんだよね。
まあ文章が上手くなったとも言えるんだけど、当然失ったものもあるわけで微妙な問題だよな。


そういえば、今回の「キングコング」は「ドクロ島に行くまでの1時間が退屈」なんてことを結構言われていたりする。
そう言われてしまうほど導入部分が長くなってしまったのは、監督としては序盤の全てがどれも必要なエピソードに思えたからだろう。
実際見てるとムダなものは一つもない。
だけど現実問題として、「序盤が長すぎる」と見ている人に思われてしまうという、この事実。

この問題について、全ての文章を書く人たちは考えていくべきだと思ったわけです。
まあ個人的には「プロにもどうにもならないのを自分がどうこう出来るわけないだろ」なんて思ってたりしますけどね(ヲイ)。




……と、こんな感じになったのだがどうだろう?
もしかしてコレで十分?それとも話の展開が急?
まあもちろん一回読んだ文章であるなら理解力は上がってるからこれで十分かもなあ。
でも、いきなりこれを読んだ人の理解度はどうなんだろう?

ちなみに上の文章はテキストデータ量にして、元の文章の約50%をカットしている。
まさに「カロリー半分」のダイエット甘味料に匹敵するカット率である。


……って、今言った「まさに「カロリー半分」のダイエット甘味料に匹敵するカット率である。」という一文は、意味的には全く必要のない完全な「枝葉」。
果たしてこの「枝葉」は邪魔か?必要か?


この結論は、自分みたいな文章の素人には重すぎる問題だと思った次第です。