作家の文章量がだんだん増えてくる理由が分かった気がした

今更の報告になっちゃったけど、先週は映画の「キングコング」のレビューを書いてみた。

ピーター・ジャクソン監督版「キングコング」のレビューというか感想
http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/4566/textking/textking2006/kingkong.html


まー、あれは疲れたね。
その前のローゼンメイデンの感想も疲れたけど、キングコングも大変だった。

まず、序盤にその作品の基本的な説明書くのが、すごく面倒くさい。
正直言ってあんなの書きたくないわけです。自分としては、そんなのより早くさっさと本題に入りたいわけですよ。
でも、あの辺ないがしろにすると知らない人はよく分からないだろうなあなんて思ってしまって、キングコングという映画の歴史からピーター・ジャクソン監督との関係まで、序盤はひたすら説明文。
こういうのでどんどん文章が長くなってしまって、書いてて疲れてしまうんだよなあ……。どうにかして欲しい。


……で、ふと思ったんだけど。
プロの小説家なんかで、だんだん文章の量が増えていくって人が結構いたりする。
例えば「京極夏彦」なんかがそうだろうし、自分は小説畑の人はあまり知らないからノベルゲーム系で言えば、keyの「ONE」→「Kanon(カノン)」」→「AIR」→「CLANNADクラナド)」という流れで確実に増えている。さらには「奈須きのこ」だって増えているし、最近流行の「ひぐらしのなく頃に竜騎士07作)」にしたって話が後半になるほど文章量は増えている。
そういう作家って結構いるんじゃないかと思うんだけど、今回自分もその気持ちがちょっと分かった気がしたのだ。


……って、まああくまで自分の気のせいであることも多分にあると思うんだけど、やっぱ自分もサイトで文章書くようになって結構な期間になるから感じるんだけど、やっぱり昔に比べて文章を書くときにいろいろなものが見えてくるようになるわけですよ。

そう、「この部分の説明が必要だ」とか、「ここはもっと面白く話を広げられるな」とか、「後の展開を考えると伏線的にこの話を序盤でしておくべきだ」とか。

そう、そういうのが文章書きを長くやってると、なまじ見えてくる。見えてきてしまう。
するとそれを書かずにいられなくなってくるわけだ。
で、そういうのを一切合切いれてしまうため、どうしても文章量が長くなってしまう。
文章が長くなってる人は、こういう状態になっているんじゃないかと思う。少なくとも自分はそうだ。

そういえば何年か前に久々に、大学生の頃にサークルで出す冊子の原稿として書いた昔の自分の文章を読んでみたらさー、もう驚いた。
とにかく導入が唐突。「私ってコーヒーが好きじゃないですか」的な唐突な入り方。
例えば今回のキングコングレビューで言うなら、まず第1行目が、


「先日映画のキングコングを見に行ったんだけど、いや〜あそこはヤバイね!ビビッたよ!」


とかもう、そんな感じ。1行目がまずそれみたいなホットスタート。
そしてさらにそこからも、とにかく展開が早い。話がバンバン進む。今読み返すと明らかに説明が足りない。
「えっ?その単語について全く説明しないんだ?」とか、「そこ主語省いちゃダメだろ!」とか「もっと状況きっちり説明しろっての!」とか、今の目で見るとそんな感想を持ってしまう。

だから今の「見えている」状態からすると、とてもそんな文章が書けなくなってるんだよね。
キングコングがどんな映画か説明しなきゃ」とか、「誤解されないように自分の純粋な感想も書いておこう」とか、「ピーター・ジャクソン監督の話は終盤の伏線として必要だよ」とか、「監督が製作費の一部を負担したって話題も入れられるな」とか、そんなこんなでどんどん文章が増えてしまうわけだ。

まあ文章が上手くなったとも言えるんだけど、当然失ったものもあるわけで微妙な問題だよな。
昔のを読み返してると、あの疾走感が懐かしかったりもする。


そういえば、今回のピーター・ジャクソン監督版「キングコング」は188分という長大な映画で、ネットの感想を見ていると「ドクロ島に行くまでの1時間が退屈」なんてことを結構言われていたりする。

自分としてはそれほど気にならなかったんだけど、やはり一部の人からそう言われてしまうほど導入部分が長くなってしまったのは、監督としては序盤の全てがどれも必要なエピソードに思えたからだろう。
実際見てるとムダなものは一つもない。序盤の全てに意味があることは、詳細に見ていけば確かに分かる。
だけど現実問題として、「序盤が長すぎる」と見ている人に思われてしまうという、この事実。


この問題について、全ての文章を書く人たちは考えていくべきだと思ったわけです。
まあ個人的には「プロにもどうにもならないのを自分がどうこう出来るわけないだろ」なんて思ってたりしますけどね(ヲイ)。